2011年を振り返る(東日本大震災および原発事故)

今年といえばなんといっても東日本大震災でした。

静岡県は、東海地震が起こるかもしれないとずっと叫ばれ続けていたということもあり、もしこの規模の大きさの地震が静岡で起きていたら、当然自分の身に降りかかっていたわけで、「他人事ではない」という言葉すら軽く思えるぐらいに感じておりました。

東北方面には少なからず知り合いもいたわけですが、とはいえすぐに安否の確認ができるほどの親しい間柄という関係ではなかったため、無事だろうかと気を揉んでいるうちに、twitterで無事が確認できたという方がほとんどでした。

金と暇という意味では以前ほど余裕が無いこともあり、まだ震災後には東北方面には足を踏み入れておりませんが、何らかの形で旅行して金を落とすことが現地の復興に役立つと考えているため、来年の半ばまでにはせめて一度はと考えています。

そして福島第一原発の事故。当時まず思ったのは、なぜ建設後40年も経っていた原発プラントがそのまま使われていたのかということ。静岡県にも浜岡原発があり、2年前の夏に静岡近辺で最大震度6弱地震が起きたときには既に旧くなっていた1号機と2号機が運転を停止しておりました。それに比べてなぜ福島はこうなってしまったのか、と思わざるを得ませんでした。

あと当時、ベント(炉内の圧力を下げるためのガス抜き)の開始が遅れたのは、菅首相(当時)の現地への視察があったからだという説がありました。しかしこれはどうやら違ったようで、実は全電源喪失のためベントは手動で行わざるを得なくなったものの、それを行うには放射線量が強すぎて近づけないという状況になっていたためのようです。あとベントを迅速に行うよう強く言ったのは菅首相であったこと。これが事実であれば、菅首相の指示した行為はベストとは言えないまでもベターではあったのかもしれません。しかし恫喝に近い形で東電の幹部を脅したという噂もあり、この点でリーダーシップという意味ではどうよとは思うわけです。しかしまだこのあたりの詳細については明らかになっていない部分もあるので、誰が悪いのかということになると、一人の責任にはできないということは確かでしょう。

動き続けるシステムに想定外の事態が起こった場合、安全に停止することができるようにするという考え方があります。これを「フェイルセーフ」と言います。そういう意味で、原発というシステムはこれを満たすことができるのか?確かに福島第一原発についてはこれを満たしていなかったかもしれません。安全に停止するという仕掛けが完璧ではなくても、それにできるだけ近づけることは可能なはずです。日本が誇る鉄道技術「新幹線」はまさにそのいい例です。だから原発に関してもそれは不可能ではないはずです。

浜岡原発は、菅首相(当時)の要請により一旦運転を停止しました。静岡県民の私としては、この要請は超法規的ではあるけれどベターな決断であったと言わざるを得ません。しかし浜岡を含め、原発については「フェイルセーフ」が満たされていれば稼動をOKしてしかるべきではないでしょうか。